再開
2001年6月3日お久しぶりです。
と書いても、私の日記など誰も読んでいる人居ないかもしれないけど。(読んでいる方いたらありがとう)
まあ、ここに戻ってきた自分に対する第一声として相応しい言葉だと思って掲げてみました。
また今日から日記再開ということで、気持ちも新たにパソコンに向かっております(かしこまっているなあ、私)。
日記を休んでいた2ヶ月弱の間。
私といえば、ずうーっと就職活動に明け暮れていました。かねてから目指していたリースを中心に、数十の企業を回った。
でも―。
悉く振られ続けた。非常にいい具合に話が進んでいったのに、連絡が無かったり。
就職活動をしている多くの人が思うように私も「私は何処の会社からも必要とされてはいないんだわ」と思った。
もともと悲観主義的な私は、自分の状況を憂い、カッターナイフで自らの手を切ったり。
でもね。
5月に入ると、もう開き直っていた。
「あたしはあたしだもの。回りの誰が内定を貰っていようと関係無いもの。人よりちょっと苦労したっていいのよ。あたしは踏まれても負けないんだから・・・」
4月の後半から私はUターン就職1本に絞った。
それは即ち、憧れていたリース業界からの撤退を意味する。一社だけ、地元の銀行系列のリースは受ける予定だけど、これに対しては対して期待してはいない。
リース業。
私がこれほどまでに行きたいと思った業界は無いかもしれない。そんな燃ゆる思いを手放したきっかけは。単純。立て続けに落ちまくったから。
ああ、あたしには会わないんだなあ、リース総合職は。一般職のお給料じゃ一人暮らしは無理そうなので、一般職の選考を待たずに私はリース業をすぱっと諦めた。
リースを手放したかわりに、私の視界に入ったのは「私が生まれ育った地」。
無理を承知で私はUターン1本にする。
田舎。製造業ばかり。文系の私の働く場所、といえば。募集人数、各会社約1〜2人のメーカー事務職に滑り込むか、金融機関に就職するか。
くっ、苦しい。
私としては金融機関に行きたくて殆ど全ての選考を受けようと思っていたけど。
応募人数が半端じゃない。受かるのか。この私が。
東京と地元を往復する日々。
4時間近くかかって鈍行で東京に戻ったら、もう夜の10時だったこともある。
ああ、地方出身って何て悲しいんだろう?
だけど。
実家で過ごす日々は、それなりに楽しかった。
父とも母ともたくさん話した。会社で今、管理職にある父は、私に本当にいろいろなことを教えてくれた。田舎の中企業だけど、でも懸命に仕事をしている人がいる。母は、結婚前銀行員だったこともあり、私は母から銀行の仕事のことについていろいろ聞いた。私が銀行員を目指したきっかけの原点は、母が元銀行員だということなんだって再確認した。
結果から言うと。
私は数日前に、地方銀行から内内定の連絡を頂いた。
私がリクナビで真っ先に登録した企業。私には余りにも大きすぎて、きっとご縁など無いところだと思っていた銀行。その県で人気NO.1企業と言われている銀行に内内定した。
信じられなかった。
面接では自分の弱い部分も出してしまった。
だから、もう呼ばれることは無いんじゃないかって思っていた。
自信なんて、何処にも無い。
でも、せっかく○○○銀行の方とお話出来るんだから、自分らしさをだそうって、そう思った。
元気で誰とでも仲良くなれる、リーダーシップの取れる人間では決して無い。
信じられない位ネガティブで、でも負けん気が強くて、逆境をバネにする、そんな私。
御行に要らないならもうこれ以上呼ばなくていいです。でも、これがありのままの自分だから。
そんな私が、何でだか判らないけど最終まで行くことが出来た。初めて受ける役員面接。
確かに緊張したし、正直言って意地悪!?というような質問もあった。
上手く答えられた自信も無いし、役員がどのように判断したのかは場の雰囲気からは伝わってこなかった。
翌日の夕方、携帯が鳴る。吉報だった。
実は電話口で言われただけで握手も印鑑も契約書も何も介在しない口約束だけど。(実は不安。他のところは全部断ってくださいと言われ、断っちゃったし)
それは5月最後の日。
私は、長らく自らを覆っていた濃灰の衣服を身から離した。
手の甲につけた傷跡はもう一見しただけでは分からぬ位薄くなっている。
スーツとは隔絶された世界に引き戻され、ほんの少し前の怒涛の日々が夢のようにさえ感じる。
以前と変わったと言えば変わったかもしれないけど、変わっていないと言えば変わっていないような気もする。
就職活動を通して成長できた、なんて言葉は、私自身は軽々しく使いたくない。ぼろぼろ感を抱いたことを、満足感で帳消しにはしたくないから。
自分が成長できたかなんて、そんなことは今すぐには判らないだろうから(私に関しては)。
これからこの日記、毎日書いていくのかそれともイレギュラーなのか全然分からないけど、でも新生「Sayukism」を今日この日に書けたことを嬉しく思うの。
おまけ・・・Gackt*今堂本兄弟に出てる(!) 気になって仕方の無い人。
と書いても、私の日記など誰も読んでいる人居ないかもしれないけど。(読んでいる方いたらありがとう)
まあ、ここに戻ってきた自分に対する第一声として相応しい言葉だと思って掲げてみました。
また今日から日記再開ということで、気持ちも新たにパソコンに向かっております(かしこまっているなあ、私)。
日記を休んでいた2ヶ月弱の間。
私といえば、ずうーっと就職活動に明け暮れていました。かねてから目指していたリースを中心に、数十の企業を回った。
でも―。
悉く振られ続けた。非常にいい具合に話が進んでいったのに、連絡が無かったり。
就職活動をしている多くの人が思うように私も「私は何処の会社からも必要とされてはいないんだわ」と思った。
もともと悲観主義的な私は、自分の状況を憂い、カッターナイフで自らの手を切ったり。
でもね。
5月に入ると、もう開き直っていた。
「あたしはあたしだもの。回りの誰が内定を貰っていようと関係無いもの。人よりちょっと苦労したっていいのよ。あたしは踏まれても負けないんだから・・・」
4月の後半から私はUターン就職1本に絞った。
それは即ち、憧れていたリース業界からの撤退を意味する。一社だけ、地元の銀行系列のリースは受ける予定だけど、これに対しては対して期待してはいない。
リース業。
私がこれほどまでに行きたいと思った業界は無いかもしれない。そんな燃ゆる思いを手放したきっかけは。単純。立て続けに落ちまくったから。
ああ、あたしには会わないんだなあ、リース総合職は。一般職のお給料じゃ一人暮らしは無理そうなので、一般職の選考を待たずに私はリース業をすぱっと諦めた。
リースを手放したかわりに、私の視界に入ったのは「私が生まれ育った地」。
無理を承知で私はUターン1本にする。
田舎。製造業ばかり。文系の私の働く場所、といえば。募集人数、各会社約1〜2人のメーカー事務職に滑り込むか、金融機関に就職するか。
くっ、苦しい。
私としては金融機関に行きたくて殆ど全ての選考を受けようと思っていたけど。
応募人数が半端じゃない。受かるのか。この私が。
東京と地元を往復する日々。
4時間近くかかって鈍行で東京に戻ったら、もう夜の10時だったこともある。
ああ、地方出身って何て悲しいんだろう?
だけど。
実家で過ごす日々は、それなりに楽しかった。
父とも母ともたくさん話した。会社で今、管理職にある父は、私に本当にいろいろなことを教えてくれた。田舎の中企業だけど、でも懸命に仕事をしている人がいる。母は、結婚前銀行員だったこともあり、私は母から銀行の仕事のことについていろいろ聞いた。私が銀行員を目指したきっかけの原点は、母が元銀行員だということなんだって再確認した。
結果から言うと。
私は数日前に、地方銀行から内内定の連絡を頂いた。
私がリクナビで真っ先に登録した企業。私には余りにも大きすぎて、きっとご縁など無いところだと思っていた銀行。その県で人気NO.1企業と言われている銀行に内内定した。
信じられなかった。
面接では自分の弱い部分も出してしまった。
だから、もう呼ばれることは無いんじゃないかって思っていた。
自信なんて、何処にも無い。
でも、せっかく○○○銀行の方とお話出来るんだから、自分らしさをだそうって、そう思った。
元気で誰とでも仲良くなれる、リーダーシップの取れる人間では決して無い。
信じられない位ネガティブで、でも負けん気が強くて、逆境をバネにする、そんな私。
御行に要らないならもうこれ以上呼ばなくていいです。でも、これがありのままの自分だから。
そんな私が、何でだか判らないけど最終まで行くことが出来た。初めて受ける役員面接。
確かに緊張したし、正直言って意地悪!?というような質問もあった。
上手く答えられた自信も無いし、役員がどのように判断したのかは場の雰囲気からは伝わってこなかった。
翌日の夕方、携帯が鳴る。吉報だった。
実は電話口で言われただけで握手も印鑑も契約書も何も介在しない口約束だけど。(実は不安。他のところは全部断ってくださいと言われ、断っちゃったし)
それは5月最後の日。
私は、長らく自らを覆っていた濃灰の衣服を身から離した。
手の甲につけた傷跡はもう一見しただけでは分からぬ位薄くなっている。
スーツとは隔絶された世界に引き戻され、ほんの少し前の怒涛の日々が夢のようにさえ感じる。
以前と変わったと言えば変わったかもしれないけど、変わっていないと言えば変わっていないような気もする。
就職活動を通して成長できた、なんて言葉は、私自身は軽々しく使いたくない。ぼろぼろ感を抱いたことを、満足感で帳消しにはしたくないから。
自分が成長できたかなんて、そんなことは今すぐには判らないだろうから(私に関しては)。
これからこの日記、毎日書いていくのかそれともイレギュラーなのか全然分からないけど、でも新生「Sayukism」を今日この日に書けたことを嬉しく思うの。
おまけ・・・Gackt*今堂本兄弟に出てる(!) 気になって仕方の無い人。
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