過去と未来と今と憧れ
2001年3月26日えーと、初めて自分のパソコン以外から書き込んでいる。今、学校のパソコンの前に座ってこれを書き込み。
そう、今日は成績表交付の日。
今私の鞄の中には、私の一年間の成果がしっかりと入っている。
はーっ、かなり緊張した、成績表見る時。
思えば毎年そう、というか去年の緊張感は物凄かった。若し全部落としてたら、とかAが一つもなかったらきっと自害していたと思う。去年は訳あってどうしても最高の成績取らなくてはならなかったから。
結果は、もう神様ありがとう、不器用な私だけどちゃんと頑張っている姿を見ていてくれたのね、と大声で叫んでしまいたいくらい。
思っていたよりよかった。勿論この私がオールAなど取れる訳は無いけど、でも自分が思っていたよりもずっとずっといい成績だった。
厭世家の私だが、この時ばかりは世の中捨てたもんじゃないってひしひしと感じた。
来年度の授業も楽しみ。残りはあとゼミ1つと、卒論と、資格課程の実習だけ。
ええ、変わり者のSayukiは単位に関係ない授業も取るつもり。もう一つのゼミと、あと大好きな教授の授業と、他にも何か。だって、自分の好きな勉強が思う存分できるって楽しいもの。
文学部史学科という就職に関しては全く役に立たない学部に来てしまったけど、その点では全く後悔していない。大学で史学を勉強することを目標があったから嫌いだった高校も中退せずにちゃんと卒業したもの。
異端児だった高校時代の私(今でも十分異端児だけど)が居るから今のこの私が居る。
高校時代の私の姿を鮮明に思い起こさせるような曲が昨夜、床につく直前の私の耳に入った。
それは「午後の紅茶」のCM曲。
TVから突然流れてきたその曲は私を瞬く間に6年前へと引き戻す。
高校入学直前に初めて聞いたその曲は、私の高校時代を象徴する曲として今も私の中に深く深く刻み込まれている。
スピッツ「ロビンソン」。
自由な校風なのに何処かに見えない鎖がある。
進学校という看板を掲げて居る為に発するものなのか、それともただ私が不適応人間の為に上手く同化することが出来なかったのか。
とにかく高校時代の私は、学校が嫌いだった。
入って3日で早速辞めたいと思うようになった。
しかし自分が熱望して入った学校だった為そのようなことは誰にも言うことが出来ず、一人心の中でマイナスを積み重ねていた。
誰かにいじめられたり無視されていた訳じゃない。成績が余りにも悪くてしょっちゅう担任から呼び出しを受けていた訳でもない。通学時間が長すぎて通うのが苦痛な訳でもない。怖い先輩が居た訳でもない。担任が嫌いな訳でもない。素行不良だった訳でもない。それなのに、何故そこまで私は追い詰められていたのだろう?何が私を苦しめていたのだろう?
エスケープをしていた昼休み。学校を抜け出して自転車で公園へ向かう。得体の知れない重荷から一時的に逃れるにはこれが一番効果的だった。
高校に入学する直前に聞いた「ロビンソン」は、私の高校時代の象徴。
もともと厭世的で悲観主義の気はあったけど、自分のネガティブな物事の捉え方や、それでいてやけに自由を欲するところは高校時代の影響が大きいと思う。
そんな私と同じ高校の出身のミュージシャンが居る。余り名は知られていないが、一応プロのバンドのVo&G担当。その人は卒業後進学せずに、音楽をやるために都会に出た。働きながら音楽活動をし、インディーズでCDを出したのが22歳の時。そしてメジャーデビューが24歳の時。
同じ高校出身でありながらこんなにも格好いい生き方をしているその人は私の憧れでもある。
その人は私より5つ年上なので在学中のその人の姿を知らないが、しかし一ファンとしてCDやライブでその人の声を姿を自分の中に取り込む度に、このままじゃいけない、私も自分の本当にやりたいことをやらなきゃって強く強く思う。
そしてこの人と出会えたことで自分の否定時代=高校時代を少しだが真っ直ぐ見つめられるようになった。きっと、その人も私と同じ様な感情を少なからず抱いていただろうから。
就職のこと。
東京の企業を受けるのはリースの会社とか金融系だけにして、あとは地元の方にシフトしていこう。
それが、最新のSayukism就職版。
おまけ・・・365日のバースディテディ*お店に行くとまめに一箱一箱チェックしているけど未だ自分と同じ誕生日のテディに出会えていない。
そう、今日は成績表交付の日。
今私の鞄の中には、私の一年間の成果がしっかりと入っている。
はーっ、かなり緊張した、成績表見る時。
思えば毎年そう、というか去年の緊張感は物凄かった。若し全部落としてたら、とかAが一つもなかったらきっと自害していたと思う。去年は訳あってどうしても最高の成績取らなくてはならなかったから。
結果は、もう神様ありがとう、不器用な私だけどちゃんと頑張っている姿を見ていてくれたのね、と大声で叫んでしまいたいくらい。
思っていたよりよかった。勿論この私がオールAなど取れる訳は無いけど、でも自分が思っていたよりもずっとずっといい成績だった。
厭世家の私だが、この時ばかりは世の中捨てたもんじゃないってひしひしと感じた。
来年度の授業も楽しみ。残りはあとゼミ1つと、卒論と、資格課程の実習だけ。
ええ、変わり者のSayukiは単位に関係ない授業も取るつもり。もう一つのゼミと、あと大好きな教授の授業と、他にも何か。だって、自分の好きな勉強が思う存分できるって楽しいもの。
文学部史学科という就職に関しては全く役に立たない学部に来てしまったけど、その点では全く後悔していない。大学で史学を勉強することを目標があったから嫌いだった高校も中退せずにちゃんと卒業したもの。
異端児だった高校時代の私(今でも十分異端児だけど)が居るから今のこの私が居る。
高校時代の私の姿を鮮明に思い起こさせるような曲が昨夜、床につく直前の私の耳に入った。
それは「午後の紅茶」のCM曲。
TVから突然流れてきたその曲は私を瞬く間に6年前へと引き戻す。
高校入学直前に初めて聞いたその曲は、私の高校時代を象徴する曲として今も私の中に深く深く刻み込まれている。
スピッツ「ロビンソン」。
自由な校風なのに何処かに見えない鎖がある。
進学校という看板を掲げて居る為に発するものなのか、それともただ私が不適応人間の為に上手く同化することが出来なかったのか。
とにかく高校時代の私は、学校が嫌いだった。
入って3日で早速辞めたいと思うようになった。
しかし自分が熱望して入った学校だった為そのようなことは誰にも言うことが出来ず、一人心の中でマイナスを積み重ねていた。
誰かにいじめられたり無視されていた訳じゃない。成績が余りにも悪くてしょっちゅう担任から呼び出しを受けていた訳でもない。通学時間が長すぎて通うのが苦痛な訳でもない。怖い先輩が居た訳でもない。担任が嫌いな訳でもない。素行不良だった訳でもない。それなのに、何故そこまで私は追い詰められていたのだろう?何が私を苦しめていたのだろう?
エスケープをしていた昼休み。学校を抜け出して自転車で公園へ向かう。得体の知れない重荷から一時的に逃れるにはこれが一番効果的だった。
高校に入学する直前に聞いた「ロビンソン」は、私の高校時代の象徴。
もともと厭世的で悲観主義の気はあったけど、自分のネガティブな物事の捉え方や、それでいてやけに自由を欲するところは高校時代の影響が大きいと思う。
そんな私と同じ高校の出身のミュージシャンが居る。余り名は知られていないが、一応プロのバンドのVo&G担当。その人は卒業後進学せずに、音楽をやるために都会に出た。働きながら音楽活動をし、インディーズでCDを出したのが22歳の時。そしてメジャーデビューが24歳の時。
同じ高校出身でありながらこんなにも格好いい生き方をしているその人は私の憧れでもある。
その人は私より5つ年上なので在学中のその人の姿を知らないが、しかし一ファンとしてCDやライブでその人の声を姿を自分の中に取り込む度に、このままじゃいけない、私も自分の本当にやりたいことをやらなきゃって強く強く思う。
そしてこの人と出会えたことで自分の否定時代=高校時代を少しだが真っ直ぐ見つめられるようになった。きっと、その人も私と同じ様な感情を少なからず抱いていただろうから。
就職のこと。
東京の企業を受けるのはリースの会社とか金融系だけにして、あとは地元の方にシフトしていこう。
それが、最新のSayukism就職版。
おまけ・・・365日のバースディテディ*お店に行くとまめに一箱一箱チェックしているけど未だ自分と同じ誕生日のテディに出会えていない。
コメント