きょうのにっき
2001年3月2日3がつになりました。
さゆきはますますいそがしいひびをすごしております。
きょうは、わたしのほんとうにじもとのじもとのごうどうせつめいかいにいきました。そうしたら、しっているひとにであっちゃいました。
そのひとはまえからじもとのきぎょうせみなーでみかけていて、「あれはちゅうがくのときおなじくらすだったIちゃん?」とおもっていましたがそのIちゃんがとうきょうにしんがくしているというはなしはきいたことがなかったので、たにんのそらにかなあ、とおもっていました。しかしそのひとのしょうたいがはんめいしました。そのひとはIちゃんではなく、ちゅうがくのときわたしのなかよしぐるーぷとひともんちゃくあったとなりのくらすのぐるーぷのめんばーでした、よりによって。
Iちゃんとかおがにているのです。そのひとは。
たまたまそのひとがもっていたぶーすほうもんかーどにかかれたなまえがわたしのしかいにはいって、「あっあいつだったのか」ときづいたのです。
わたしはきょうじっかんしてしまいました。じもとにかえってしゅうしょくするということは、むかしのてきとさいかいするというりすくがつきまとうものなのだ、と。そいつはきっとわたしのことはわすれているとおもいますが、わたしはできるならそのひととおなじしょくばにはなりたくありません。べつにそのひとにいじめられたわけではないのですが、とにかくあいしょうがわるいのです。ぎゃーぎゃーさわぐし、うるさいし、わがままだし。
でもよくかんがえてみれば、たくさんあるかいしゃのなかでそのひととおなじかいしゃになるなんてほとんど0にちかいかのうせいだし、たまたまごうどうせつめいかいでみかけることはあっても、それはおなじかいしゃにはいるということではないのですから。それにまんがいちそのひととおなじかいしゃになったとしてもいっしょうそのひととおなじところにつとめなければいけないわけじゃありませんし。
それに、まったくしらないひとばかりのしょくばにはいったってきがあわないひとはどうしてもでてくるし、そのへんはうまくやっていかなければなりません。きらいだからむししようとかはなしをしないというのがつうようしないのがびじねすのせかいです。
さゆきももう21さいなのだからひとをすききらいだけではんだんしないようにしましょう。
ごごはがくないせみなーにさんかしました。さいきんわたしのなかできゅうじょうしょうちゅうのりーすのがいしゃです。
きょうしつとしてだいきょうしつがわりあてられているのをみて、「りーすのしぼうしゃいっぱいいるのかな?」とおもいました。しかしいざきょうしつにはいってみるとなかはがらがら。けっきょく、このひあつまったがくせいは15にんみまんでした。これならちいさいきょうしつでじゅうぶんです。りーすというぎょうかいにたいするちめいどのひくさがうかがえました。
わたしはりーすはなかなかすきです。みちのぶんやというかんじで、わたしがかいたくしていきたいとおもってしまいました。ってでしゃばりすぎですよさゆき。
これまでぎんこうとかしょくひんとかじゅうたくとかきかいけいとかみてきたけどどこかににえきらないものをかんじていました。わたしほんとうにここではたらくのかなあって。
でもりーすというぎょうかいにであったとき「これだっ」というちょっかんがむねをさしつらぬいたのです、というのはおおげさですが、あまりしられていないぶんらいばるもすくないきがしますし、おかねとものをあつかうという2めんせいがわたしにあっているようなきがしたのです。わたしも2めんせいはげしいひとですから。(じょうだん)
きょうしゅっせきしたのはぷりんたでゆうめいなRのかんれんがいしゃで、なんときのういちぶじょうじょうしたそうです。しんぶんでたしかめてみたらちゃんとありました。
わたしはよくわからないひとといわれます。ときどきおかしなことをします、ひそかに。きょうだってひらがなでにっきのぜんぶんをかくというふざけたことをやっているし。それはしぜんとABがたのちがそうさせるのか、それともえんぎなのか、よくわかりません。ときどきこころのなかでふくすうのわたしがたいりつします。かっとうをくりひろげます。たじゅうじんかくしゃというわけではないのですが、とてもたくさんのようそをもったにんげんたとおもいます。ひとつのめんしかもっていないにんげんなんていません。
ためんたいなわたしはあいはんするものをもちあわせています。でもそれをしゃかいでだしすぎるとむじゅんしたにんげんだというれってるをはられてしまいます。とくにてきせいけんさをうけるときはようちゅういです。いちおうわたしはもぎしけんのだんかいではむじゅんどがたかいというはんていはでたことがありません。すなおにうけようとおもいます。
このくだらないよみにくいにっきをさいごまでよんでくれたかたどうもありがとう。
あしたからはつうじょうのかんじかなまじりばーじょんでいきます。いつかかんぶんちょうをやってみたいし、むかしかじったふらんすごばーじょんもじしょをひきながらやってみたいとおもっています。
ひらがなはてっとりばやくできるのでまたきっとやるでしょうね。
それではばいばーい。
おまけ・・・ふじぱんの「くりーむちーず」。だいすきなぱんのひとつ。こんびにだとさんくすくらいでしかうってないけどこれはおいしい。100えんとやすい。これがあればわたしはごきげんです。あしたもたべたいです。
さゆきはますますいそがしいひびをすごしております。
きょうは、わたしのほんとうにじもとのじもとのごうどうせつめいかいにいきました。そうしたら、しっているひとにであっちゃいました。
そのひとはまえからじもとのきぎょうせみなーでみかけていて、「あれはちゅうがくのときおなじくらすだったIちゃん?」とおもっていましたがそのIちゃんがとうきょうにしんがくしているというはなしはきいたことがなかったので、たにんのそらにかなあ、とおもっていました。しかしそのひとのしょうたいがはんめいしました。そのひとはIちゃんではなく、ちゅうがくのときわたしのなかよしぐるーぷとひともんちゃくあったとなりのくらすのぐるーぷのめんばーでした、よりによって。
Iちゃんとかおがにているのです。そのひとは。
たまたまそのひとがもっていたぶーすほうもんかーどにかかれたなまえがわたしのしかいにはいって、「あっあいつだったのか」ときづいたのです。
わたしはきょうじっかんしてしまいました。じもとにかえってしゅうしょくするということは、むかしのてきとさいかいするというりすくがつきまとうものなのだ、と。そいつはきっとわたしのことはわすれているとおもいますが、わたしはできるならそのひととおなじしょくばにはなりたくありません。べつにそのひとにいじめられたわけではないのですが、とにかくあいしょうがわるいのです。ぎゃーぎゃーさわぐし、うるさいし、わがままだし。
でもよくかんがえてみれば、たくさんあるかいしゃのなかでそのひととおなじかいしゃになるなんてほとんど0にちかいかのうせいだし、たまたまごうどうせつめいかいでみかけることはあっても、それはおなじかいしゃにはいるということではないのですから。それにまんがいちそのひととおなじかいしゃになったとしてもいっしょうそのひととおなじところにつとめなければいけないわけじゃありませんし。
それに、まったくしらないひとばかりのしょくばにはいったってきがあわないひとはどうしてもでてくるし、そのへんはうまくやっていかなければなりません。きらいだからむししようとかはなしをしないというのがつうようしないのがびじねすのせかいです。
さゆきももう21さいなのだからひとをすききらいだけではんだんしないようにしましょう。
ごごはがくないせみなーにさんかしました。さいきんわたしのなかできゅうじょうしょうちゅうのりーすのがいしゃです。
きょうしつとしてだいきょうしつがわりあてられているのをみて、「りーすのしぼうしゃいっぱいいるのかな?」とおもいました。しかしいざきょうしつにはいってみるとなかはがらがら。けっきょく、このひあつまったがくせいは15にんみまんでした。これならちいさいきょうしつでじゅうぶんです。りーすというぎょうかいにたいするちめいどのひくさがうかがえました。
わたしはりーすはなかなかすきです。みちのぶんやというかんじで、わたしがかいたくしていきたいとおもってしまいました。ってでしゃばりすぎですよさゆき。
これまでぎんこうとかしょくひんとかじゅうたくとかきかいけいとかみてきたけどどこかににえきらないものをかんじていました。わたしほんとうにここではたらくのかなあって。
でもりーすというぎょうかいにであったとき「これだっ」というちょっかんがむねをさしつらぬいたのです、というのはおおげさですが、あまりしられていないぶんらいばるもすくないきがしますし、おかねとものをあつかうという2めんせいがわたしにあっているようなきがしたのです。わたしも2めんせいはげしいひとですから。(じょうだん)
きょうしゅっせきしたのはぷりんたでゆうめいなRのかんれんがいしゃで、なんときのういちぶじょうじょうしたそうです。しんぶんでたしかめてみたらちゃんとありました。
わたしはよくわからないひとといわれます。ときどきおかしなことをします、ひそかに。きょうだってひらがなでにっきのぜんぶんをかくというふざけたことをやっているし。それはしぜんとABがたのちがそうさせるのか、それともえんぎなのか、よくわかりません。ときどきこころのなかでふくすうのわたしがたいりつします。かっとうをくりひろげます。たじゅうじんかくしゃというわけではないのですが、とてもたくさんのようそをもったにんげんたとおもいます。ひとつのめんしかもっていないにんげんなんていません。
ためんたいなわたしはあいはんするものをもちあわせています。でもそれをしゃかいでだしすぎるとむじゅんしたにんげんだというれってるをはられてしまいます。とくにてきせいけんさをうけるときはようちゅういです。いちおうわたしはもぎしけんのだんかいではむじゅんどがたかいというはんていはでたことがありません。すなおにうけようとおもいます。
このくだらないよみにくいにっきをさいごまでよんでくれたかたどうもありがとう。
あしたからはつうじょうのかんじかなまじりばーじょんでいきます。いつかかんぶんちょうをやってみたいし、むかしかじったふらんすごばーじょんもじしょをひきながらやってみたいとおもっています。
ひらがなはてっとりばやくできるのでまたきっとやるでしょうね。
それではばいばーい。
おまけ・・・ふじぱんの「くりーむちーず」。だいすきなぱんのひとつ。こんびにだとさんくすくらいでしかうってないけどこれはおいしい。100えんとやすい。これがあればわたしはごきげんです。あしたもたべたいです。
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